ありがとうございました

昨日の夜遅く、大阪で一緒に仕事してた後輩から連絡があった。
二人の恩師でもある、当時働いてた会社の上司が亡くなった。
まだ若いのに。なぜ?
煙草吸い過ぎや!

 

9年間の思い出。

当時の僕はまだ若かって、よくその上司と衝突を繰り返してた。
口癖は「もう辞める」。何度そう思い、飲み屋で愚痴っただろうか。
アパレル関係だったので、服装も髪型も自由。その自由をはき違え、滅茶苦茶な日常。
それでも見放さず、いつも間違いを指摘してくれてた。
指摘される度、自分に落ち度があるにも関わらず反抗的だった。
腹も立ってただろう。
一度は天狗になってた僕が、得意先との電話でちょっとした口論。
その電話を聞いてたその上司が今から行ってこい。謝ってこい、お前が悪いやろ、と。
なんで行かんとあかんの?時間ないから断ったのに?なんでやねん。行くかボケ。思いつつ。
その日嫌々ながらその得意先へ。行けば会えば口論もせず、丸く収まった。勿論謝りましたよ。
僕の天狗の鼻はへし折られ。調子乗ってる事を痛感した。今でも忘れる事なく覚えてます。

こんな事件もあった。
大阪支店4人体制だった時のこと。

病気で何日か欠勤し、久しぶりに出勤すると。
もう一人の上司がいない。いつも朝早く来てタバコ吸ってるはずなのに。
なんでかな?と思いつつ朝の会議へ。
亡くなった上司と僕と後輩。珍しい3人での会議。
後輩がそっと「昨日から無断欠勤してるんですよ」と耳打ち。
家族からも連絡が来て、捜索願も出して。でも、僕たちは展示会に向け日々忙殺されてた。
一応その上司の得意先にも僕から連絡しアポ入れたり、二人分の仕事を任され。
ムカつきつつ何とか展示会へ。

いいお知らせも、悪いお知らせも、いつも突然。
行方不明な上司が警察へ出頭。展示会で忙しい中、連絡がきた。
それから諸々あり。一度だけ奥さんと会社へやってきた。
人間あんなに顔の色変わるんか~と思うくらいドス黒く不気味だったのは今でも強烈に覚えてる。

上司から成り行きを説明され、だいたい分かってました。
そして今後の事を二人で検討。その前から、二人で仕事する機会が物凄く増えてた。
2人で本社へ主張し、前乗りで深夜まで飲み明かしたり。飲みの機会が増え。
反抗的な態度も以前よりは減った。

後輩には成り行きは黙っておこうと上司。
いや、今後は3人で仕事せなアカンから後輩にもちゃんと説明しようと僕。
結局、後輩にも告げ。以後は3人体制へ。
それから3年ほど働いて、僕は退職した。
退職するにあたり、一度は引き留めてくれ給料まで上げてくれ。(過去にも給料は微々たる額ながら上がってたし)
実は本社から僕たち2人を守ってくれてた。
そんな事もあったのに。商品開発を任されたのに。僕は飛び出した。
今思うと、収入は良かった。それでも僕は満足してなかった。もっと貰っていいはずだと。
アホとしか思えない。その収入も上司が本社に掛け合って上げてくれてた。
たぶん、本社はいい顔しなかったと思う。行方不明上司の不祥事もあったし。その損失も大きかった。
なのに掛け合って、僕たちの労働条件はすごく良かった。
最後に「この3人で今後はやっていこう」その一言が勇気をくれたと上司から言われた時。
物凄く悪い事した気分になった。そんな事言った本人が退職。

その上司がいたから僕は自由に仕事ができ。商品開発も伸び伸びとできてた。
数字はいつもきつかったけど、他はホント恵まれてた。
色んな経験もさせてもらったし。反抗しながらも腹割って話した事もあったのに。

大阪を離れ、年賀状も途絶え。
でも心の片隅には、いつも近況報告はせなあかんと思ってたのに。
出せず仕舞いの手紙。出す勇気がなかった、後伸ばしにするルーズな性格のせいにして。

ほんとはいつも感謝してました。
離れて分かる事が多すぎて。感謝しかないです。
今、当時の教えを思い出し行動する事が多々あります。
それが強みになって、反映されてます。
ほんとありがとうございました。感謝してもしきれない程。
そして出せなかった手紙と共に、後悔の気持ちが湧き出てきます。

後輩とは、いつか3人で再会しようなって連絡してたので。
その時は呼びますから。再会しましょう。
最後にまた教えてくれました。
生きてる内に会いたい人とは会う。

ごめんなさい、もう書けそうにないです。ギブします。