日々状況は変わるのに

忘れてしまったの?
思い出すことはないの?
もう思い出話に花を咲かす時はこないのかな。
いつまでもお元気で!なんて今は言えない。


この前、オカンとのLINE通話中に当然告げられた。
祖父の入院。
先月100歳を迎えた祖父。おめでとうも言いに行けず。最後に会ったのは2年前。
祖母のお墓参りと祖父の面会。
その時の事を祖父は覚えていないと思う。僕のことすら覚えていなかったから。
でも久しぶりに会った祖父は相も変わらず、あの時のままだった。
心臓が強くて、ハキハキとお喋りし。
曾孫達に子猫と接するかのような優しい眼差しと力強い握手。
昔から力強かったもんな。
青汁飲んで、木刀の素振り、変な体操。毎朝してた。健康には人一倍気をつかってた。

 

僕の幼少期は大阪と岡山の行ったり来たりだった。
幼稚園は2年の内、半分も通ってなかった。家庭の事情ってやつ。
だから祖父と祖母は親みたいな関係だった。
オトンが家に金入れないのもあって、大阪の暮らしはハッキリ言って貧しかった。
反面、岡山に行くと何不自由ない生活があった。
海軍出身の祖父は戦後、メカニックの腕を生かし自営業を興すそして、高度成長期にその仕事は繁忙を極める。
所謂、社長さんってやつ。
大型バイクにカメラ、時計、オーディオ。後は盆栽。実家にはない物だらけ。
岡山に行くと贅沢ではないけど、煌びやかに映る生活があった。
岡山市内に家があり、どこにも行くにも歩いていけた。
映画館に繁華街。アイススケート場にプール。娯楽がいつもすぐ傍にある。
大阪に帰ると団地しかない。小汚いマーケット。喧嘩やいざこざしかない暮らし。
娯楽なんか縁がなかった。
楽しくもあり、淋しくもあった岡山での生活。祖父はいつも何処かに連れて行ってくれた。
畳屋の親戚のおっちゃんの家だけはホンマに行きたくなかった。
抱きついて離れない、泊まれ泊まれと帰してくれない。最後はいつも号泣。
でも帰りに何か買ってくれたり、おっちゃんから小遣い貰えたり。
特典付きなんで泣くの分かってるのに爺ちゃんと一緒に行ってしまう。
花火大会の時は、中華料理屋の2階一室を借り切って特等席からの花火鑑賞、更にその中華の美味しい事。
ボンボンみたいな生活、でも大阪に帰ると夫婦喧嘩の末の殺し合い。
そんな二重生活の中、祖父との思い出は書ききることが出来ないくらいある。


18年前、祖母が亡くなった時、横でワシもすぐ逝くからなと言ってた。
心臓の強さからか100歳を迎えましたが。
あの時の事はちょっとしたブラックジョークとして、たまにオカンと話す。


その祖父も100歳を迎えたのに誤飲性肺炎で入院してしまった。
祖父の事なので逝く逝く詐欺で終わりそうな気もする。
不謹慎?ええねん、爺ちゃんはいつまでも強いねんから。
戦後生き抜いた強さを目の当たりにしてきたから、僕の中ではいつまでも爺ちゃんは強い。

昨日、朝からラインが鳴る。朝鳴るなんて事はめったにない。
まさか!と思いながら確認すると先輩から。一安心。

こんなご時世なんで最後のお別れに参加できないのは覚悟してる。
またいつか会えると信じてるから。
ただもう一度握手したいな。
2年前の握手の感覚が色褪せてきてる。